
新日本プロレス『BEST OF THE SUPER Jr.』@後楽園ホールにて整体業界を想う
今夜は友人に付き合って新日本プロレスを観てきました。
ここ数年新日は後楽園ホールのチケットが取りづらくなっている。
今夜も客席は満員。
このシリーズはいつもは後半に出場しているヘビー級の選手が前半に出て主役は軽量級の選手達。
スーパージュニアも22年やってんだ・・・
第1回目は他団体からの出場の選手も多く、当時は業界の常識を超えたスゴイことだった。
その第1回目から見ている僕っていくつになったんだ・・・怖いわぁ・・・
今夜も非常に楽しめた。
プロレスも楽しかったしあのキャラの出し方や試合の組み立て方、巧い選手、伸びしろのある選手、ピークが懐かしい選手などを自分なりに分析しながら観ているのである。
マニアならではのイヤラシイ観戦なんだろうね(笑)
例えばこの上の写真の10人タッグだと・・・
色気のある都会的センスを持ったレスラー、見た目もやることもヒール、豆タンクのようなゴツい人、キャラがハンパな人、すでにピークから程遠い終わってる人、この団体の光り輝くトップレスラー、眼光が鋭すぎる人、ゴリラ(笑)、サムライ系キャラ、コミック系のおもしろおかしい覆面レスラーの10人。
ちょっとよく見てる人なら誰のことを言っているかわかるかなぁ(笑)
これを見ていると世の整体師たちとリンクする。
どれが良くてどれが悪いではない。
それぞれにファンが付いている。
多様性。
ダイバーシティ。
どうしたら群雄割拠のこのリング(整体業界)でファン(クライアント)に強烈な印象を残すことができるのか?のヒントがイヤというほど詰まっているのがプロレスだ。
これを見ていて試合というよりも整体業界のことを考えながら見てしまった。
整体業界でも切磋琢磨ではなく主張の潰し合いをしている人をネット周辺でよく見かける。
自分の主張が正しいのだ!
あなたは間違っている!
それは逆から見たらまったく同じこと。
意味がない。
プロレスに戻ろう。
他の人と言ってること、やってること、コスチューム、ルックス・・・が違うからいいのだ。
自分の色と違うものを排斥したって何も生まれない。
つまり自分の正義を他人に強要したらそれは独裁政治と同じ、恐ろしい考えだ。
プロレスはいい。
まったく違う色の人間がぶつかるからこそおもしろいのだ。
これからは業界の中で『潰し合い』ではない、『生かし合い』だよ。
プロレスは多様性を認める土壌がとても心地よく感じる。
これからもリング(整体業界)で生き残れる方法論とは……
キャラなのか?
テクニックなのか?
しゃべりなのか?
オーラなのか?
ライフスタイルなのか?
これは今や街中に溢れるほど存在する整体の中で生き残れる人材、生き残れない人材と考え方は似ている。
いろんな人生がある。
僕はいろんな物事に対して多様性を認めている。
他の人に対してあなたは間違っているなどとは考えないようにしている。
こういった多様性を認めることができるようになったのもプロレスのおかげだと思う。
先ほども述べたように何が良くて何が悪いのか。
そんなことは関係ない。
しかしここは勝負の世界。
それは必ず・・・
勝者もいれば敗者もいる。
エンターテイメントだけどガチで勝負の世界。
そして僕は自分が出来ないことだからだろうか、レスラーという刹那的な生き方に憧れる。
レスラーはこのスポットライトを浴びたリングに立ったら辞められないという。
なので引退しても戻ってくる。
そらが良いとか悪いとかはこっちの気持ち。本人がやりたいのなら勝手に戻って来ればいい。
それも多様性(ダイバーシティ)だ。
そしてそこでまたレスラー人生が続いていく。
レスラーはどんな技を喰らっても痛みがアドレナリンで消されるくらい脳から放出されるらしい。
リングという四角いジャングルはファンも魅了しレスラー自身の脳内アドレナリンが湧き出す魔物が潜む場所。
今夜も強者達のアドレナリン祭りは激しかった。