たまきやのばあさんが死んだ。

休業してから2か月、
来てはならないこの日が来たことに
少なからずショックを受けたけれど、
なぜか、穏やかな気持ちで受け入れた。

日吉に越してきてから4年、
たまきやには通いつづけた。
少なくて週2日、多いときは5日は行った。

旨いと言ったことはほとんどなかった。
職人気質のばあさんに、
「旨い」という褒めことばはなんだかおこがましかった。
「旨い」と言う代わりに只管通いつづけた。

ばあさんは「旨い料理」というよりも、
「毎日食べられることへの感謝の念」を
提供してくれていたように思う。

ぼくはばあさんの名前を知らなかったし、
ばあさんもぼくの名前など聞かなかった。

だから僕は勝手に「たまきやのばあさん」と名付けていた。

思えば半年位前、他に誰もいない店内で、
ばあさんは自分の生い立ちを滔々と話し始めたことがあった。

「こんな話、めったに話すことはないけど、
突然、勝手に口が動いて、話し始めることがある。
あんたにこの話をするように、神さんが仕向けているんだと思う」。

土佐からひとり東京へ出てきたころの話。
住むところがなくて、
近所の子どものお守りをしながら、居候をした話。
詩人たちの集まりの端っこに座って、耳をそばだてていた話。
焼き鳥屋をやっていたころのお客の話。
そんな若いころの体験で鍛えられた、人を見る眼の話。

ぼくの寡薄のために、詳しくは思い出せないけれど、
何かに憑かれたように、ばあさんは自分の半生を語りつづけた。
古い映画を見ているような感覚に陥った。

しばらくして、次のお客が来て、
「もう二度と話さんかもしれないし、また話すかもしれない。
神さんが話させようと思ったらまた話すかもしれんね」
と、一仕事終えたような顔をして笑った。

次に行ったとき、ばあさんはこないだの話のことなど
忘れたかのように黙ってうどんを作りつづけていた。
また聞きたいと思ったけれど、
僕から話を求めることはなかった。

火曜日の定休日がなくなったのはいつからだったか。
このところ休まないねと聞くと、
休むと逆に疲れちゃうから、と応えた。
そのころからばあさんの体は、病に冒されていたのかもしれない。
ばあさんはもう長くはないことに気づいていたのかもしれない。
一杯でも多くのうどんを作るために、
休んでいる暇などなかったのかもしれない。

毎日必ず来るお客が三人いると言って、
10時を過ぎても暖簾をしまわないこともよくあった。
たいてい閉店間際に駆け込む僕に、
涼しくなったら10時半まで開けといてやるわと言ったのは、
暑い暑い今年の夏のことだった。

そして秋刀魚の季節になり、
うどんに生姜を入れてくれる冬が来る前に、
ばあさんは力尽きた。

12月に入ったある日、
中央通りの十字路で、老婦が僕の視界に入った。
僕は思わず立ち止まり、振り向いた。
背格好も髪型も身なりも、たまきやのばあさんだった。

近づいて「元気になったんだ」と声をかけようと、
横顔を覗き込んだとき、別人であるのに気づいた。

それから数日後、ばあさんは神さんに召された。