昨日と今日は2日連続で中野のソレシカ・セミナールームでAtoZとTHE NEW CLASSICのクラスのセミナー。
2日で合計13時間のセミナーだったが思いのほか疲れない。
最高のメンバーはかりだからだ。
難しい顔をして向き合わないといけないセミナーが多いとは思うが、僕のセミナーはちょっと違う。
笑いが絶えないというのは疲れないものだ。
まだまだ父親の香典返しの用意があり、帰る前に新宿の高島屋に寄って帰ろうとした。
高島屋は閉店が早い。19:30で閉まってしまう。急げ。
ATMに寄ろうと思い多少急ぎ足で考え事をしながら歩いていたら中野サンモール内にある三菱UFJ銀行のATMを通り過ぎてしまった。
10mほど行きすぎたので戻ったところで友人の顔が見えた。
江川氏だ。
彼はプロレス業界では1番有名なイラスト職人。
あらゆる団体で彼がデザインしたTシャツが売られている。
なんならアメリカでも死ぬほど売れている。
特にテリー・ファンクのTシャツは彼の真骨頂だ。
彼がデザインしたTシャツはプロレスファンなら何枚も持ってるはず。
江川さんとはなにげに古い関係だ。
まだ20代の頃からのプロレス関係の知り合いである。
お互いアメリカンプロレスが好きで追っかけなんかをやってた頃からだ。
そんな江川さんの横にいらっしゃったのが、有名なプロレスライターの斉藤文彦さん。
僕は週刊プロレスのフミさん(親しみを込めてフミさんと呼ばせていただく)の書くコラムが大好きで、若かった僕にはかなり影響が大きかった。
フミさんイチオシだったECWというアメリカのインディー団体に魅了され、フミさんの記事を貪るように読み漁り、想像と妄想が繰り返されることに。
『これだけはどうしても生で観たい!』
そこから現地観戦するためにアメリカのフィラデルフィアに幾度となく通った。
そこで友人ができ、いつもフィラデルフィアのプロレス友達のダグやロブの家に居候しながら連日プロレス観戦をしていた。
しまいには選手達の車に同乗して一緒にニューヨークやフィラデルフィアの田舎街のサーキットをまわっていた。
その頃は人生がどうなるかなんて考えてなかった。
とにかく大好きなアメリカのプロレスを観るために生きていた。
その後その行動がとある有名プロレスライターの知ることとなり、僕は人生で初めてスカウトされ、晴れて週刊ゴングという古くからあるプロレス雑誌の中のコラムを書くこととなった。
と言っても所詮は業界でも悪名高い某ライターのゴーストライターであったが。
まぁ、そのあたりのライターの話は良い思い出がないので割愛(笑)
そのステップを経て自由を求めていつの間にか整体師へと変貌を遂げた。
そして整体師として映像作品を創作するにあたり、アメリカンプロレスのエッセンスが山ほど詰め込まれた作品を出すこととなる。
そう、人生におけるすべてにおいてアメリカンプロレスのエッセンスがなければ僕は僕ではない。
そう考えると週刊プロレスのあのフミさんのコラムでだいぶ人生が変わった。
そんなかなり直接的な影響を受けたライターさんといきなり話ができる機会ができたのだ。
伝えたいことは山ほどあったが、立ち話なので話したいことの1/100くらいしか伝えられなかった。
それでも僕にとっては大きな影響を与えられて、アメリカへ本気で冒険する気にさせてくれた張本人。
もう責任を取って欲しいくらいである(笑)
実はフミさんには今回初めて会ったというわけではない。
それは30年前のこと。
レッスルマニアという今でも続くWWEの1番大きなイベントがあるのだが、1994年にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにレッスルマニア10を友人と2人で観に行った。
その時にMSGの地下でフミさんを見つけて思いきって声を掛けた。
とても優しく対応していただき、感激したものだ。
その日の写真も添付しておこう。
フミさん、いきなりいろんな話をしてしまいすみませんでした。
またお会いできたらまだ伝えたいことがたくさんあるのでよろしくお願いします
毎日仕事もプライベートもSNSなんかにいちいち書ききれないほどいいことばかり。
そろそろ死ぬんじゃないのか?俺は笑
かつて蒔いた種が実を結ぶ。
人生の収穫期はまだまだ続くのか。
あゝありがたやありがたや。


