母が亡くなってからちょうど1週間後が葬儀になった。
つまり明日が葬儀の日になる。
毎年冬というのは亡くなる方が多くすぐの火葬というのはなかなか無理なようである。
結果最速で2月6日ということだったので話し合ってそこで決めた。
ちょうど僕の大事なスケジュールを外した日程だった。
お袋は最後まで僕の仕事のことを優先してくれたようだ。最後までなかなかやるじゃん(笑)
あと初めて知ったのだが火葬場は正月の三が日だけお休みなんだそうだ。
そのためスケジュールが後ろに倒れていく関係で1月、2月あたりは少し待たされるらしい。
なんとなく亡くなったらすぐにお通夜、そのあとすぐ葬儀というのが頭にあったのだが1週間待たされるのも良いものだとつくづく思う。
というのもその1週間は葬儀場で母としばらくの間対面できるのだ。
父も先日そこを訪れて顔を撫でながらずっと話し掛けていたようだ。
切ないよなぁ…
亡くなってすぐの葬儀ではそのような時間は取れなかった。
家族のためのグリーフワークとして、そして顔を見ながら徐々にその現実を受け入れていくための時間としてはとても大切な時間であった。
と言うのも…
悲しみの曲線がいきなりピークを越える死の瞬間。
もしかしたらそのあとはその悲しみ曲線はもっと上昇するかもしれない。
訳の分からないうちに遺骨になってしまうよりも母の肉体を感じながら、顔を見ながら話しかけることでその悲しみの曲線を柔らかにダウンさせていくという辛い中での人の死という感覚の自己調整作業。
この1週間は家族にとって母との最後の思い出作りの時間なのだと感じた。
このコロナの時代、コロナでお亡くなりになった方はそれすら許されない状況、すぐに火葬され対面すら許されないのだと考えるとそのような方達の家族の引き裂かれるような心を想像するだけでこちらの胸まで張り裂けそうだ。
まったくもってコロナとやらは罪な存在である。
そうこうして忙しくしている間に明日が母の葬儀の日。
母親の肉体とは永遠の別れである。
今日も実家に寄ったので夕方から母との対面をしに行った。
母とふたりきりで内緒の話。
20分ほどだろうか。
いろんなことを聞いてもらった。
母が仕事ばかりだった子供の頃は寂しかったこと、思春期はそれを拗らせて憎んでいたこと、謝りたいこと、感謝を伝えたいこと、一緒に働けたこと、これからも僕や弟を見守って欲しいということ。
そして高校生の頃一度だけ蹴ったことを今でも本当に後悔していること。
いろんな思いが交錯して頭の中が混乱したけどしっかり伝えたので明日はちゃんと送り出せることになりそうだ。
対面が終わり実家に帰ってきてからも伯父、伯母と共に母の昔のアルバムを見ながら思い出話に花が咲いた。
一枚の写真が気になったので抜き取って持ち帰ってきた。
母が20代の頃の写真。
青春時代か。
人生にワクワクしてた頃かな。
この後に父と逢うことになる。
母はこの頃から常に勉強していろんなことに挑戦してきた人生だったから僕の背中を押し続けたのだろう。
悩んだ末に足を踏み入れた整体の業界では少しは名前が通るようになったことを喜んでくれていると思う。
明日は母の骨を拾ってきます。
僕の仕事柄最後まで僕の教材になるね(笑)

