家に帰り何気なくNHKにチャンネルを合わせた。
そこから何もせずすっかり観入ってしまった。
誰しもいつかは訪れる死への向かい方。
その最期をどう迎えるのか。
いわゆる終活とはまたちょっと質の違う幾つかのストーリー。
いずれの人たちも最期までのギリギリの期間の生き様を見させてもらった。
見るに堪えない苦しそうなお顔や気持ち的に切ない部分もあったが同時にあたたかい気持ちにもなる。
不思議なのだが初めて見るはずのどの方の生き方にも愛おしさを感じてしまった。
終い方という言葉の裏にあるのは生き方、生き様を考えるということ。
どう生きるのか。
当たり前なのだがこれからの自分の生き方を考える時間になった。
まったくもって我々は幸せである。
これを見ている全員が幸せであるはずだ。
生きているから。
おそらく明日も生きているから、だ。
これには素直に感謝しなければいけないことである。
しかし日々『感謝』という言葉を文字にして書くことは僕はあまり好きではない。
なんだか文字に起こすと白々しく感じてしまう。
ネットなどでは毎日のように『毎日あらゆるものに感謝感謝自分は毎日幸せだ幸せでしょうがないんだ最幸最幸!(この幸せの文字がミソw)』などとアピールするかのごとく書いている方を見かけるがそういう人ってあまり幸せそうに見えない気がしていて。
まるで自分に無理やり言い聞かせているような気がしてならないからだ。
いい人アピールはしなくてもいいのにね(笑)
そう言わなくても日頃からそう思っている人の言葉の中からは不思議と感謝の念は十分に伝わってくる。
どんな話をしていても。
生き方、考え方の違いと言ってしまえばそれまでだが、何も言わず感謝の念を心の中に置き黙々とそして活き活きと生きていくことこそ本当の感謝のような気がしてならない。
番組の中に出てきた死に直面した人達を見てまたそう思った。
あの人達は身近な人へ優しく愛おしく接しているだけだった。
あるいは横にいるだけだ。
それなのにしっかりと愛が伝わっている。
ある意味傍観者である我々にもだ。
言葉よりも伝わるものは確実にある。
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生きることへのありがたみをどう表すかはどう生きるかということ。
そしてその最後はどう散っていくかということ。
どう生きてどう去るのか。
その答えの究極のところは死へ向かい合った時の我々の中にあるのではないか。
歌丸師匠の終い方の姿も響いたよね。
涙を落とすと共に番組からの問いかけになかなか考えさせられた時間でした。

