26日は僕の兄弟分のDougの命日でした。
今まででいちばん解り合えたアメリカン。
彼との出会いは1995年8月25日。
懐かしいな。
僕も若い(笑)24歳。
大好きなカート・コバーンのTシャツ着てますね。フフフ。
そして横に立っているのが親友のDoug(ダグ)です。
会ったばかりだからか?お互い表情が硬いね(笑)
これはアメリカのフィラデルフィアから車で数時間走った所にあるジム・ソープという場所。
フィラデルフィアに行っていた時にすんごい田舎町でプロレスがあるということを知りまして、車を走らせました、数時間。
日本で言うと多分東京から福島くらいの距離?をドライブ。
そのプロレス会場は酒場でした(笑)
酒場プロレス。観衆200人くらいの小さな箱。
そこの会場で出会ったのが彼、Doug。
とてもナイスガイでしてね。
時間や約束、感覚がアメリカンっぽくなくて正確。
絶対に前世はニホンジンだったね(笑)
まぁ彼ももちろん気合の入ったプロレスマニア。
Dougは日本のプロレスの知識ハンパない。
僕はアメリカのプロレスの知識ハンパない。
10分話をして意気投合です(笑)
どうやらこんな田舎町に日本人がいるわけないのに不思議だったようですね。
その後もずっと仲良くさせてもらってました。
アメリカにプロレスを観に行く時はほとんど彼の家にホームステイでした。
彼のファミリーを巻き込んでのお付き合い。
そして一緒にプロレスを観に行ったもんです。
彼はECWの関係者なのでバックステージも入り放題。
たくさんいい思いをさせてもらいました。
アメリカ東部に用事がある時は彼の家に行くのが楽なんですね。
いろいろ分かってもらえるし、旅行では行けない所に連れてってもらえますからね。
逆に彼も日本へプロレスを観に来たことがありました。
ちなみにDougの部屋は日本のプロレスのポスターや雑誌だらけ。
お互いマニア過ぎるだろ(笑)
そんな彼は当時、アメリカでも有名なプロレスのビデオ販売専門の会社の副社長やってまして。
業界では顔が広かったので彼が亡くなった8年前の今日はアメリカのプロレスマニアが集うネット界隈では大騒ぎでした。
Dougは「RF VIDEO」というプロレス専門のビデオ会社を立ち上げ、その後ROHという今ではアメリカ第三勢力となる団体も立ち上げた業界のパイオニアでした。
かつてはTajiri選手をはじめ日本人のレスラーもフィラデルフィアに行くと彼の家にお世話になることが多かったようです。
その後も何度となく彼の家へ行っていましたが彼の会社も大きくなり忙しくなっていきました。
そんな僕も整体の世界に身を投じ、金銭的にも精神的にも苦しい生活でアメリカに行くなんてことは考えられず(笑)
彼もいろいろあったのでしょう。
僕もいろいろありました。
お互い連絡が取れずにはや数年。
2005年に再会してからまた何回かアメリカに渡りました。
それから間もなくDougはあっという間に逝ってしまった。
あと一ヶ月後に心臓の手術を控えていたと聞いた。
クスリのやり過ぎで人生を短くしてしまったよね。
最後に会ったのは一緒にプロレスを観たニューヨーク。
最後に話したのはハワイに旅行に行ってる時になにげなく電話した日。
亡くなった2年後にやっと墓参りに行って気持ちの整理をつけた。
風がそよいでいる広いグレイブヤードへアメリカの旗はもちろん彼のルーツであるオーストリアの国旗、日本国旗を添えてきた。
あいつのヘンな日本語、ビリヤード、ふたりして酔っ払って立ちションで警察に職務質問されたり(笑)、ショッピングモール、池袋の焼き鳥屋、ロングドライブ、Dougは女子プロレスラーと付き合っていてノロケ話聞かされたり…
彼との全てが懐かしく思い出される日。
バカばっかりやっててもはや国を越えた兄弟だった。
そんな出会いも若かったからなのかな。
僕のThe青春の1ページ。
こんな時間からそんなことやったら泣きたくなるに決まってるんだけどさ、たまにはアルバムをひっくり返してあいつの好きだったビールでも飲もうかね。。。
そんな友人がいてくれたことに感謝、ですね。




